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横須賀橋です。国道6号線と流山街道の二つの幹線道路を結ぶ割には、交通量は少ないようです。 13横須賀橋.jpg
この汚れた坂川の水が流れ込む江戸川の水も汚れ、その水をくみ上げる下流部の浄水場では「飲み水が臭い」などの不満がたくさん寄せられました。坂川の水の汚れをなくし、江戸川の水を安心でおいしい水にするために、住民と国・県・市が一体となり、坂川、江戸川をきれいにしようと1994年(平成6年)から「清流ルネッサ...
<坂川の水質> 1973年(昭和48年)にはJR武蔵野線が開通して新松戸駅ができ、急速に坂川流域の宅地化が進みました。住宅の急増に下水道の整備が追い付かず、家庭から出る生活排水が直接坂川に流れ込むようになりました。結果坂川には魚も棲めない悪臭を放つ川になってしまいました。 武蔵野...
又、坂川放水路と江戸川の合流部に「松戸排水機場」を建設し、大雨の時でも江戸川の水が坂川に逆流しないよう水門が造られ、ポンプで増水したときの坂川の水を江戸川に排水できるようにしました。(平成8年3月に最終完成) (続く) 排水機場 坂川放水路.jpg
朝夕すっかり冷え込んできました。そして坂川にいつもの風景が戻ってきました。周りの風景もすっかり秋めいています。 渡り鳥.jpg
近くの展示会場で実物のアイボを見てきました。まるで本物の犬のような動きが素晴らしいです。 これなら飼い主が先に亡くなっても、周りに迷惑は掛からないだろうなと、つい先々のことまで考えた次第です。 😑 aibo.jpg
1950年代後半(昭和30年頃)から坂川流域の人口が急増し、山林や田畑は宅地化され、道路は舗装されました。その結果雨が降ると一気に坂川に水が集まるようになり、再び洪水との戦いが始まりました。対策として坂川の川幅を広くし、川底を削りました。坂川中・下流部については、住宅が川に迫っているので川幅を広げる...
添付写真の中の説明文が切れてしまいましたので、一枚だけ抜きだして改めて添付します。松戸産、地産地消、花桃の会の文言が嬉しいですね。店名はさりげなく写真の上に書かれています。 アビルコーヒー.jpg
紆余曲折の後、上郷と下郷の争いは話し合いで解決し、1836年にはようやく栗山村まで堀つぎ工事が完成し、下谷地区の水はけがよくなりコメの収穫が増えるようになりました。この時の坂川改修計画の指導者が鰭ヶ崎村(現流山市)の名主、父・子・孫3代の庄左衛門(子の代より渡辺庄左衛門を名乗る)でした。 (続く...
坂川上流(上郷)の村人は田畑の冠水を防ぐためには坂川の排水を良くしなければならないと考えました。そのためには坂川の水をなるべく下流で江戸川に流そうと計画しましたが、坂川下流(下郷)の村人は上郷の排水のため自分たちが犠牲になることを恐れ上郷の計画に反対していました。 (続く)
この下谷地区では大雨が降るたびに江戸川の水位が上昇し、坂川の水が江戸川に流れにくくなり、あるいは江戸川から逆流して、結果流域の田畑は冠水してしまい農業の収穫が出来なくなりました。(当時坂川は「逆川(さかさがわ)」と呼ばれていました。) (続く)
この江戸川が誕生したころ、湿地であった坂川流域の下谷地区(したやちく)では盛んに新田開発が行われました。この地区では「主水新田(もんどしんでん)」、「七右衛門新田(しちえもんしんでん)」という開墾者の名前が今も地名として残っています。 (続く)
ところで、橋名の名前が書いてある「橋名板」は、道路の起点側(入り口)から見て左側には漢字表記で、終点側(出口)にはひらがな表記になっているのが普通だそうです。そして昔は「日本橋」に近い方を起点(入り口)としていたそうです。 坂川の小さな橋一つ一つにもそんなルールが適用されているとは驚きです。🤔
利根川は元々東京湾に流れ込んでいました。豊臣秀吉により江戸に転封となった徳川家康は利根川の流れを江戸湾(現東京湾)から銚子に向ける、いわゆる「利根川東遷」工事を開始しました。(完成は1654年)この東遷工事の中で、利根川と太日川をつなぎ江戸川が誕生したのです。 (続く)