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ところでこの松戸市リサイクルセンターができる前は、この場所に「六和クリーンセンター」という、ゴミの焼却施設があったことは、古い方々は皆ご存じでしょう。
このゴミ焼却施設は、北側と東側が流山市との市境となっていて、建設計画時には流山市民の猛反対があったと聞いております。流山市から見れば、何故わざわざ市境を狙って、建設するのだ、という不信感があったのも無理はありません。
昭和の時代には、ゴミの焼却炉をつくるという事には、有害物質が発生するのではないかという不安から近隣の住民の大反対が付きものだったのですね。
確かに、後日平成26年度の土壌調査では、鉛・フッ素・ダイオキシンなどの有害物質が環境基準値を3倍以上超えていたとの報告があり、流山市の不安は正しかったのです。
しかし当時の松戸市は、この計画をごり押しし、それ以来流山市との関係がぎくしゃくとなったとの事です。そしてその松戸市と流山市との不和状態が、後のけやき通り貫通問題での両市の行き違いにまで尾を引いていたのだそうです。なるほど、けやき通り貫通問題の原点は、ゴミ焼却炉の建設にあったということでしょうか。
この六和クリーンセンターは、昭和37年に完成し、その後平成14年に廃止されるまで松戸市の清掃工場として稼働していたとの事です。
当時はゴミの分別のレベルも低くいろいろな有害ゴミが燃えるごみと一緒に焼却されて、かつ施設における有害物質の処理技術も低く、今から見れば大変なレベルでの有害物質を発生させていたのでしょうか。
我々新松戸の住民の出すゴミもここで焼却されていたのでしょうから、なんとなく焼却炉の周りの農家の方たちにも申し訳ない気持ちになってきますし、かつてのけやき通りの流山街道への延伸計画についても地権者の賛同を得られなかったのも十分理解できますね。
別に五番街が騒がなくても、単に地権者の意向で貫通は実現しなかったのでしょう。五番街の俺たちが騒いだから貫通しなかったのだ、というのは大変な思い違いかと思います。
当時の写真を入手しました。丸い煙突が昭和を思わせます。最近の焼却施設の煙突は何故か四角型が多いです。
昨日の南流山木地区の交通量調査は、新松戸7丁目界隈と合わせて、同時に行っていたようです。いよいよ交通量調査も神明堀架橋開通を前提として行われるようになったのでしょう。架橋後の木地区「神明堀西岸地区」の交通量の変化にも興味がありますが、リサイクルセンターに行くのも便利になりますね。
「橋は架けてこそ意義がある、道路は繋がってこそ価値がある」というのはどこかの某市長の言葉だそうですが、その信念がついに実現するのでしょう。
「何年かけても話し合う、何年かけても実現する」というのはどこかの不動産会社の土地活用の朝のTVCMのフレーズですが、なんだか神明堀の架橋の事を言っているようで、毎朝聞くたびに思わず笑ってしまいます。 😓
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