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およそ6千年前の地球は気温が今より2-3度高温で、海面の高さが今より3メートルほど高く、坂川流域の松戸流山地区の平地は海底だったようです。新松戸西パークハウスから発見されたクジラの化石がそれを物語っています。
その後の地球の気温の低下に伴う海岸線の後退により、この地区は陸地(湿地)になってきました。高台からの雨水や湧水が湿地を通して太日川(ふといがわ、現江戸川)に流れ込むようになり、坂川が誕生したと考えられています。
(続く)
利根川は元々東京湾に流れ込んでいました。豊臣秀吉により江戸に転封となった徳川家康は利根川の流れを江戸湾(現東京湾)から銚子に向ける、いわゆる「利根川東遷」工事を開始しました。(完成は1654年)この東遷工事の中で、利根川と太日川をつなぎ江戸川が誕生したのです。
(続く)
この江戸川が誕生したころ、湿地であった坂川流域の下谷地区(したやちく)では盛んに新田開発が行われました。この地区では「主水新田(もんどしんでん)」、「七右衛門新田(しちえもんしんでん)」という開墾者の名前が今も地名として残っています。
(続く)
この下谷地区では大雨が降るたびに江戸川の水位が上昇し、坂川の水が江戸川に流れにくくなり、あるいは江戸川から逆流して、結果流域の田畑は冠水してしまい農業の収穫が出来なくなりました。(当時坂川は「逆川(さかさがわ)」と呼ばれていました。)
(続く)
坂川上流(上郷)の村人は田畑の冠水を防ぐためには坂川の排水を良くしなければならないと考えました。そのためには坂川の水をなるべく下流で江戸川に流そうと計画しましたが、坂川下流(下郷)の村人は上郷の排水のため自分たちが犠牲になることを恐れ上郷の計画に反対していました。
(続く)
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